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  • 15 日 9 月 2017 年

    タデウシュ・コシチューシコはポーランドの将軍であり、コシチューシコの蜂起を指揮した最高司令官です。アメリカ独立戦争にも参加し、合衆国准将となりました。1817年10月15日にスイスのゾロトゥルンにて客死した、この英雄の没後200年を記念し、ポーランド共和国下院は2017年をコシチューシコ年に制定しました。

    タデウシュ・コシチューシコはワルシャワの騎士学校、パリ近郊のヴェルサイユにある近衛軽騎兵アカデミーにて軍事教育を受けました。1776年のアメリカ独立宣言の1ヶ月後に渡米し、大陸軍工兵に任命され、フィラデルフィアの要塞化に尽力しました。その働きをジョージ・ワシントンに高く評価され、ウェスト・ポイント要塞の建設を委ねられます。その後、自らの要望で南部に赴き、アメリカの独立戦争勝利に大いに貢献しました。1783年の連合会議決定によりアメリカ陸軍准将に昇進し、広大な土地と資金を得て、それらをアフリカ系アメリカ人奴隷たちの解放と教育に充てました。

     

    17848月にポーランドに帰国し、国民開放運動に従事。1792年にポーランド・ロシア戦争に参加するも、敗戦後は政治亡命を余儀なくされました。亡命中、国民蜂起の構想を練り、1794324日、クラクフ中央広場において国民軍最高司令官として蜂起の指揮権を担う宣誓を行い、2年にわたる蜂起を指揮しました。17941010日、マチェヨヴィツェの戦いにおいて負傷。ペテルスブルグの要塞で捕らわれの身となるも、ロシア皇帝に宣誓書を提出し、開放されました。1798年にフランスに渡り、1815年までポーランド軍団の創設に尽力しました。

     

    18171015日、コシチューシコはスイスのゾロトゥルンにて生涯を終えました。当初、英雄の亡骸は現地のイエズス会教会に葬られましたが、1年後クラクフに帰還し、歴代の王たちが眠るヴァヴェル大聖堂地下墓所に埋葬されました。没後200年を記念するコシチューシコ年は、ポーランド共和国下院ならびにユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が名義後援を行い、世界各地のポーランド大使館、広報文化センター、在外ポーランド人社会が関連事業を催します。詳細はSNSのハッシュタグ「#Kosciuszko200」でご確認ください。

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